これが日本近代競馬の結晶だ!-ディープインパクト-競馬用語辞典

これが日本近代競馬の結晶だ!馬名:ディープインパクト性別:牡馬毛色:鹿毛生:2002年3月25日父:サンデーサイレンス母:ウインドインハーヘア母父:Alzao(アルザオ)生産:ノーザンファーム馬主:金子真人調教師:池江泰郎成

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これが日本近代競馬の結晶だ!

馬名 : ディープインパクト
性別 : 牡馬
毛色 : 鹿毛
生 : 2002年3月25日
父 : サンデーサイレンス
母 : ウインドインハーヘア
母父 : Alzao(アルザオ)
生産 : ノーザンファーム
馬主 : 金子真人
調教師 : 池江泰郎
成績 : 13戦12勝(中央競馬)1戦0勝(フランス)
総賞金 : 14億5455万1000円
ディープインパクト-JRA競馬データベース
ディープインパクト(Deep Impact)は、日本の競走馬。中央競馬史上6頭目の牡馬(混合戦)クラシック三冠馬。また、史上2頭目のデビューから無敗で三冠を達成した馬である。現在は種牡馬


・経歴(デビュー前)
 北海道早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれ。同じノーザンファームの同期生にはオークス・アメリカンオークスに優勝したシーザリオ桜花賞優勝馬ラインクラフト、ジャパンカップダート優勝などダートの競走で活躍するカネヒキリ、日本ダービー2着のインティライミといったメンバーが名を連ねている。
 0歳時にセレクトセールに上場された当馬は、全兄であるブラックタイドと同じ馬主である金子真人氏に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われてか上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。購入した金子はこの時の瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。
 0歳10月にノーザンファームからノーザンファーム遠浅に移動。この牧場にいた頃は集団で常に先頭を走っていて、他の馬が走るのをやめても自分だけは走り続け、ケガをしても走るのをやめなかったという。1歳時にはノーザンファームに帰り育成を積んだ。当時の牧場スタッフによると、体が柔らかくバネが強い馬だったという。一方で非力な面があり、坂路の調教では他の馬に遅れをとることもあった。また、神経質で馬体が小さかった。
 2歳にはいり、2004年4月15日に早来町のホルスタイン市場で産地馬体審査を行った。そして同年9月8日、栗東トレーニングセンターの池江泰郎氏の厩舎に入厩し、池江敏行調教助手と市川明彦厩務員が担当することになった。


・新馬戦〜弥生賞
 2004年12月19日阪神競馬場の2歳新馬戦(芝2000)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。上がり3ハロンを33秒1で駆け抜け、2着のコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けてデビュー戦を勝利で飾る。
 続く2005年1月22日京都競馬場での第2戦目の若駒ステークスは最後方から競馬をしたが、直線で一気に突き抜け5馬身勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。ちなみにこのレースの前に武豊は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていたという。
 更に中山競馬場での第42回弥生賞。関東では初出走となったが2歳王者のマイネルレコルト(3着)や京成杯を制したアドマイヤジャパン(2着)以下にクビ差で勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。


皐月賞
 第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0%(オッズは1.3倍)と、1951年のトキノミノルの73.3%に次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで追い込まれ後手を踏み、最後方からの競馬になり、さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。しかし直線では、出走したレースで初めて鞭が入り(直線で一瞬気を抜く場面があったので鞭を入れたと武豊は証言している)、17頭のライバルを横目に最後は2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。勝利ジョッキーインタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ。「走っているより飛んでいる感じだったんで」と言葉を残した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来、史上16頭目。そしてレース後の記念撮影で武豊は指を1本立てて一冠をアピールした(シンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ)。


日本ダービー
 迎えた第72回日本ダービー。当日の東京競馬場には14万人もの観衆が押し寄せた。左回りコースは初出走となったが投票券支持率は73.4%(単勝オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートはまたしても皐月賞同様に出遅れたが、道中は後方につけ、直線では先に抜け出したインティライミに残り200m地点で並んでから同馬を突き放して5馬身の差をつけ、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝し、1992年のミホノブルボン以来となる史上6頭目の無敗の二冠を達成した。武豊はインタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。そして翌日のスポーツニッポンの手記で武豊ディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。


・夏は北海道で調整
 夏場は放牧に行くのも暑い栗東トレーニングセンターに留まるのも避けて、7月10日から約2ヶ月の間、札幌競馬場でトレーニングが積まれた。北海道の競馬場で夏場を過ごして三冠を目指したことはナリタブライアンと同じである。9月11日には栗東トレーニングセンターに戻り調整が続けられた。なお、8月3日付けで馬主登録が金子真人ホールディングスに変更となっている。


・神戸新聞杯から菊花賞、三冠達成へ
 秋初戦となる阪神での神戸新聞杯ではトウショウボーイのレースレコードを更新する1分58秒4の勝ちタイムで勝利。菊花賞に向けて順調なスタートを切った。
 そして三冠のかかった2005年10月23日の第66回菊花賞。前々日発売の金曜日時点での単勝支持率が90%を超えるなど、まさにディープインパクト一色となった。最終的にディープインパクト単勝支持率は79.03%であり、この支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2%に次ぐ史上2位となった。また、菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75%を超える、史上最高支持率となり当然、単勝式は100円元返しとなった。レースでは、好スタートを切ったものの、スタート後からかかり、馬群の内側に入った。その後中団で落ち着き、直線ではアドマイヤジャパンを差し切り2馬身差をつけて優勝、1994年のナリタブライアン以来、11年振り史上6頭目の三冠馬・そして21世紀突入後として初の三冠馬・更に1984年のシンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となった。ちなみに、ゴール前での馬場鉄志アナウンサーの実況「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!」は2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。そしてレース後の記念撮影では武豊が指を3本立てて三冠をアピールした。


有馬記念
 菊花賞後は、史上初となる無敗でのグランプリ制覇を目指し、古馬と初対決の有馬記念に出走した。事前のファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には16万人もの大観衆が押し寄せた。単勝オッズは1.3倍を記録し、レースもいつものように後方からレースを進めるも、ハーツクライの前に半馬身及ばず2着に敗れ8戦目にして初黒星を喫した。レース後、武豊は「今日は飛ぶような走りではなかった」とコメントを残した。

 2005年の活躍をうけ、この年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬では満票(291票)を、年度代表馬では285票を獲得した。関西競馬記者クラブ賞も受賞した。


・4歳(2006年)阪神大賞典から宝塚記念まで
 2006年初戦の阪神大賞典では初めて良馬場以外の重い馬場を走り、また直線では向かい風の吹く中で、デルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3 1/2馬身の差で優勝。ゴール前では武豊が手綱を弛める余裕があり、順調なスタートを切った。


・天皇賞(春)
 4月30日、続く第133回天皇賞春。スタートでは前年の皐月賞や東京優駿(日本ダービー)同様に出遅れてファンを驚かせたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけて進んだ。そして第3コーナー手前の残り1000m地点からロングスパートを開始し、第4コーナーで早くも先頭に立つと、上がり最速の3ハロン33秒5の脚を繰出し、リンカーン(2着)以下の後続を封じ込め、3 1/2馬身の差をつけ優勝し、レース史上最高の単勝支持率75.3%に見事応えた。勝ち時計の3分13秒4はレコードタイムで、1997年の第115回競走においてマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。武豊が「この馬以上に強い馬がいるのかな」と言い、また2着に入ったリンカーン(3着に5馬身の差をつけ、かつ自らも従来のレコードタイムを上回る走破時計を出す)に騎乗した横山典弘が「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった」と言うほどの内容だった。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てて四冠をアピールした。


宝塚記念
 5月8日、凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞春に続きレース史上最高の75.2%をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたが、直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目、史上最速での(収得賞金額)10億円ホースとなった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てて五冠をアピールした。


凱旋門賞
 ディープインパクトは8月2日から美浦トレーニングセンターに滞在して検疫を受けた。そして8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコートと共に出国し、現地時間9日午後2時56分にフランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場にあるカルロス・ラフォンパリアス厩舎に滞在し、主にそこで調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。
 10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。直前の各ブックメーカーのオッズでは、前年の凱旋門賞優勝馬ハリケーンランや前年のブリーダーズカップ・ターフの覇者シロッコとともに3強の一角をなし、中には1番人気に推すところもあった。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクト単勝馬券を多数購入したため、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。レースでは好スタートを切り、道中2〜3番手でレースを進めると、残り300m地点で一旦先頭に立ったものの、レイルリンクに残り100m地点、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わった。敗因として武豊は「直線もハミを取っていなかった。いつもならある、もうひとつのギアを出すことができなかった」と語っている。レース後の理化学検査ではフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出され、失格になった。


ジャパンカップ
 ディープインパクトは10月4日にフランスから日本に帰国し、競馬学校で検疫が行われた。そして10月8日に池江氏によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされたため、同レースが開催される東京競馬場で着地検査が行われた。結局、「帰国してから日が浅いので」(池江氏談)天皇賞を回避し、日本国内での復帰初戦はそれから1ヵ月後の第26回ジャパンカップとなった。
 10月11日には2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円(8500万円×60株)のシンジケートが組まれ種牡馬となることが決定した。この額は日本で繋養された種牡馬としてはラムタラを上回る史上最高価格である。
 迎えた11月26日の復帰戦ジャパンカップでは、ディープインパクトが出走することから東京競馬場には12万人のファンが押し寄せた。2005年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦も注目された。単勝支持率は61.2%で、ディープインパクトが日本国内で走ったレースの中では最も低かったが、これでもジャパンカップ史上最高の支持率だった。レースはディープインパクトが終始最後方で待機、直線に向くと内に入った当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを初めとする他馬を一気に捲くり、直線残り200mあたりからムチの連打で追い込み、そして50m手前でドリームパスポートを差し切り、2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに健在ぶりをアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンと一緒になって万歳三唱をした。記念撮影では武の5本指に金子オーナーの1本指が加わって六冠を表す6本指が出来た。


・ラストラン有馬記念
 そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め2年連続1位、かつファン投票で選ぶレースとしては3レース連続(2005年有馬記念・2006年宝塚記念・2006年有馬記念)1位となった。引退レースとして注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1%(オッズ1.2倍)と1957年にハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となった。レースでは道中は後方3番手につけると、3コーナーから追い出して直線で先頭に立ち、抜け出した後のラスト150mからは武豊が手綱を抑えながらポップロックに3馬身の差をつける圧勝で引退レースに勝利し、有終の美を飾った。武豊が「生涯最高のレースができた」(翌日のスポーツニッポンの手記にて)と言うほどの勝ちっぷりだった。また、このレースで中央競馬GI7勝の最多タイ記録(史上3頭目)を達成した(ただし、他の2頭は2度制覇したGIを含む7勝のため、7種類のGIを勝ったのはディープインパクトが初めて)。この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指が出来た
そして有馬記念当日の全競走が終了した後に引退式が行われた。引退式では同日の有馬記念のゼッケンを付けて登場し、ファンに最後の勇姿を披露した。

 2006年のJRA賞では2年連続の年度代表馬(2年連続でJRA賞年度代表馬に選出されたのは2002年・2003年のシンボリクリスエス以来の2頭目。啓衆社賞・優駿賞時代も含めると5頭目)および最優秀4歳以上牡馬に選出された。JRA賞選考委員会の記者投票では総得票数289票のうち年度代表馬で287票、最優秀4歳以上牡馬で288票を獲得した。昨年に続き関西競馬記者クラブ賞も受賞した。


・引退後
 2006年12月25日付で競走馬登録が抹消され、2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。初年度の種付料は現在の日本で繋養される種牡馬としては最高額となる1200万円と発表された。なお、社台スタリオンステーションの徳武英介は週刊新潮?の取材に対し「初年度はすでに200頭以上と交配を行った」と答えている。早ければ2010年春頃に地方競馬で、夏頃に中央競馬で初年度産駒がデビューする予定。
 現在ディープインパクトは、父サンデーサイレンスや、ノーザンテースト、リアルシャダイが過ごした功労馬厩舎で過ごしている。同じ厩舎にはシンボリクリスエス、トワイニングがいる。2007年2月14日には社台スタリオンステーションで引退後初めての一般公開が行われ、会場には約1200人のファンが集まった。


・競走成績

日付 競走名 距離 着順 騎手 1着馬(2着馬)
2004/12/19 新馬 2000 1 武豊 (コンゴウリキシオー)
2005/1/22 若駒ステークス 2000 1 武豊 (ケイアイヘネシー)
2005/3/6 弥生賞(GII) 2000 1 武豊 (アドマイヤジャパン)
2005/4/17 皐月賞(GI) 2000 1 武豊 (シックスセンス)
2005/5/29 日本ダービー(GI) 2400 1 武豊 (インティライミ)
2005/9/25 神戸新聞杯(GII) 2000 1 武豊 (シックスセンス)
2005/10/23 菊花賞(GI) 3000 1 武豊 (アドマイヤジャパン)
2005/12/25 有馬記念(GI) 2500 2 武豊 ハーツクライ
2006/3/19 阪神大賞典(GII) 3000 1 武豊 (トウカイトリック)
2006/4/30 天皇賞春(GI) 3200 1 武豊 (リンカーン)
2006/6/25 宝塚記念(国際GI) 2200 1 武豊 (ナリタセンチュリー)
2006/10/1 凱旋門賞(国際GI) 2400 失格 武豊 レイルリンク
2006/11/26 ジャパンカップ(国際GI) 2400 1 武豊 (ドリームパスポート)
2006/12/24 有馬記念(GI) 2500 1 武豊 (ポップロック)

・特徴レーススタイル
 後方待機の追い込みがもっぱら勝利のパターンだった。道中は中団から後方につけ、4コーナーから一気にまくりあげて他馬をごぼう抜きすることも稀ではなかった。特にスローペースのジャパンカップでは道中最後方から追い上げて勝利した。ディープインパクトの強みは優れた瞬発力とスピードである。実際、上がり3ハロンのタイムは日本国内のレースでは全レースで出走馬中最速であり、菊花賞有馬記念(4歳時)などでは上がり3ハロンのタイムがレース史上最速であった。また、天皇賞(春)では残り600m付近から先頭に立ってそのまま押し切ったことからわかるように、スピードをかなりの間持続することができる持続力の高さも持っていた。

 反面、ほかの馬と馬体を併せるレースとなった弥生賞と凱旋門賞では、直線であまり伸びなかった。実際、弥生賞ではクビ差とディープインパクトにしては僅差での勝利、凱旋門賞では3位入線と敗れている。凱旋門賞の敗因にはさまざまな考察があるが、調教助手の池江敏行氏は、「馬体を併せると、本気で走らない気がする」とディープインパクトの引退後に語っている。武豊も自身の「武豊TV!」内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。勝ったレースは全て大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりした事は分からないし断言できないが、馬体を合わせると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはその為」と語った。


・身体的特徴
 ディープインパクトはレース時の体重が436-452kgで、サラブレッドとしては小さな体型である馬として知られている。出走したGI競走の中でも、皐月賞菊花賞有馬記念(2005年)・ジャパンカップ有馬記念(2006年)では出走馬の中で最低の馬体重だった。しかし河内洋調教師は「体が小さいからこそあのような秀でた瞬発力が出せる」、「体が小さいおかげで脚などにかかる負担が小さくなっている」と述べている。ただし種牡馬入りのときの健康チェックでは体高が164cmであり、体格は小さくないと社台スタリオンステーションの徳武は言っている。なおこのサイズは父サンデーサイレンスと同じである。

 また、犬や猫などのように後ろ足で耳を掻くことができるほど体が柔らかいという。同じ三冠馬のシンザン、ミスターシービーにもそのような特徴があったといわれている。

 そして、スピード馬に特有である薄い蹄を持っている。皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、日本ダービーに向かうに当たってこの点が問題になった。蹄が薄いと蹄鉄がうまく蹄に固定できないため、落鉄の危険性が高くなり、レースに際して不安要素になるためである。そこで、装蹄師に相談して、最新の蹄鉄を装着することにした。その特殊蹄鉄は、標準のものと比べて極めて薄いものであり、なおかつ装締によって蹄に負担がかからないよう、従来の釘による装締を止め、クッションと新エクイロックスという特殊なパテで蹄に装着させたものである。ディープインパクトはこの蹄鉄で日本ダービーに勝利し、菊花賞も勝って三冠を制した。これは、「シンザン鉄」と呼ばれた特殊蹄鉄を用いて蹄の負担を軽減したシンザンに通じるところがある。装蹄を担当したのは西内荘装蹄師である。


・走る時の特徴
 ディープインパクトの蹄鉄の減りは他の馬に比べて遅いという話がある。エアシャカールが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比べてディープインパクトの蹄鉄の方が減りが少なかった。これはかき込むような走り方でなく、きれいな飛びを持っている証拠とされている。もっとも、のちにはパワーが増したのか、蹄鉄の減り方は普通になったともいわれている。

 心肺機能が他の馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6前後であるのに対し、ディープインパクト菊花賞直前で16.0を示した。HR100も大抵の3歳馬は10分以上であるが、ディープインパクトは3分程度であった。

 走り方にも特徴がある。JRA競走馬総合研究所が菊花賞ディープインパクトの走りを研究したところによると、ディープインパクトは4本の脚がすべて地面についていない時(エアボーン)の時間が0.124秒だった。これは他の馬の平均である0.134秒よりも短かった。しかし、その間の移動距離は長く、他の馬の平均が2.43mであるのに対し、ディープインパクトは2.63mだった。また、1完歩の長さも7.54mと他の馬の平均の7.08mを上回った。ちなみにこの数値は天皇賞(春)の時はさらに68cm伸びて8.22mになった。さらに、2本の脚が同時に地面に着いている時間が0.036秒と、他の馬の平均0.075秒よりも少なかった。この場合、脚が地面に着くときに制動力が少なくなる。アメリカの三冠馬セクレタリアトにも同じ特徴が見られる。


・性格・気性
 武豊は「走りたいと思う気持ちを強く持ちすぎていて、乗るのが難しい馬」と語っている。以前は他の馬が前を走っていると調教でも追い抜こうとして抑えるのに苦労するほどで、さらに調教で馬場に出るときに尻っ跳ねをする癖があった。3歳夏の札幌競馬場でのトレーニングでは、これらの癖を直すための調教もされた。また、かつてはパドックでうるさい様子を見せており、特に日本ダービーでは入れ込んで馬場入りのときと同じように尻っ跳ねをする仕草もした。関係者によると、こういった行動は闘争心を表に出しているからだという。しかしその後はある程度改善され、調教やパドックでうるさくすることが少なくなった。

 普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃま」のニックネームで呼ばれていた。厩務員の市川は「素直な性格」で「天然」だと言っている。

 非常に利口な馬でもあり、普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えると池江調教助手は語っている。武豊も頭の良さは認めており、菊花賞ディープインパクトが一周目のホームストレッチでかかってしまったのは、頭が良いので3コーナーから4コーナーにかけてスパートをかけることを覚えているために、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまったからだと証言している。


・評価(レイティングによる評価)
 2005年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは長距離部門(ロング:Long - 2101m〜2700m)で124ポンドに評価され、総合9位、3歳馬の中では4位にランクされた。超長距離部門(エクステンディッド:Extended - 2701m〜)では118ポンドに評価され、この部門では世界1位となった。そして2006年の同ランキングでは長距離部門で127ポンドに評価され、インヴァソール・ベルナルディーニ・ディスクリートキャットに続く総合4位タイ、芝部門ではレイルリンク・ジョージワシントンと並び世界1位タイにランクされた。ちなみにこれは1999年におけるエルコンドルパサーの134ポンドに次ぐ日本調教馬歴代2位のレイティングである。それから超長距離部門でも123ポンドに評価されて前年と同様に世界1位だった。

 また、2006年7月10日にIFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」の2006年1月1日から7月10日までの集計分では125ポンドに評価された。このレイティングにより、集計期間内にタタソールズゴールドカップ(アイルランドGI)に勝利していたハリケーンラン、また、同じく集計期間内にコロネーションカップ(イギリスGI)を制していたシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて首位にランクされていた。


・競馬関係者による評価
 菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬シンボリルドルフとの比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部氏が「ルドルフのほうが強い。ルドルフは競馬のすべてを知り尽くしていた」と答えている。しかし自ら「ディープの追っかけ」と言うほどディープインパクトのファンでもあり、凱旋門賞のときは声を荒げて応援していた。柴田政人氏の場合は菊花賞の後に「ルドルフを超えたというよりもすごい馬が出てきたという感じで、能力のポテンシャルが他の馬とはまるで異なる」と評している。

 ディープインパクトと対戦した競走馬に騎乗していた騎手もその強さを認めている。日本ダービーの際には四位洋文氏が「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモ氏が「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。また、思わぬ敗戦を喫した2005年の有馬記念の後には、勝ったハーツクライの調教師である橋口弘次郎氏がインタビューで「もうディープインパクトとは対戦したくない」と語っており(その後ハーツクライは喘鳴症を患いながらもジャパンカップに出走し、ディープインパクトに敗戦している)、さらに天皇賞春で対戦したリンカーンの調教師である音無秀孝氏も後に「この馬が負けることを考えること自体が無理」と言い、ともにディープインパクトに勝つのが難しいと述べている。

 海外での評価を見てみると、たとえばイギリスのレーシング・ポスト紙は、2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレイティングに不満を唱え、独自のレイティングでディープインパクトを133ポンドで世界一にしている。ほかにも、香港の競馬記者で「35年間競馬を見てきた中でディープインパクトは一番印象的だった馬」だと述べた人物もいる。このように海外の競馬記者の中にもディープインパクトを高く評価する人間がいる


・社会的影響
ディープインパクトの活躍は一種の社会現象を巻き起こし、特に三冠の懸かった菊花賞と海外挑戦をした凱旋門賞の際には大きな注目を集めた。競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般の新聞・雑誌・テレビ番組などのさまざまなメディアで取り上げられた。NHKスペシャルでも扱われ、三冠達成後の10月29日には「ディープインパクト〜無敗の3冠馬はこうして生まれた〜」が放送された。ちなみに同番組は2005年のJRA賞馬事文化賞を受賞した。また、ハイセイコーのときと同様に漫画雑誌(『週刊ヤングサンデー』2006年15号)のグラビアを飾ったこともある。引退後も、2007年5月にはサントリーフーズ「BOSSコーヒー」のCMにトミー・リー・ジョーンズと共演した。

 そして競馬の枠を超えて一般層にもその存在が認知され、2005年には新語・流行語大賞の候補語60語にもノミネートした。また、2005年の日経MJのヒット商品番付では、「西関脇」に番付された。他にも、ディープインパクトの映像はフジテレビ系列のお昼の人気番組・笑っていいとも!の「年忘れ特大号」のこの一年・この人誰?で2005年・2006年の2年連続で紹介され、その年を象徴する存在の一つとして扱われた。

 ディープインパクトの関連商品はよく売れ、競馬グッズの売り上げの1/3がディープインパクトの関連商品だったという。銀座松坂屋ではディープインパクトの福袋まで発売された。さらに単勝馬券を払戻せずに取っておくファンも多数存在し、単勝馬券がインターネットオークションで万単位の取引をされることもあった。その他の関連商品としては、京阪電気鉄道が鉄道の乗車カードである「スルッとKANSAI Kカード」にもディープインパクトのカードが発行されていた(図柄となった写真はスポーツ報知の協力であった。カードには「淀から凱旋門賞へ」と記載されていた)。

 交通面での影響としては京阪電気鉄道において菊花賞当日の京都競馬場の最寄り駅である京阪本線淀駅ではディープインパクトの三冠達成を見てから帰宅した競馬ファンで菊花賞終了後にプラットホームが大混雑し、急行列車の臨時停車や臨時列車を大増発したものの、それでも捌き切れずにホーム上の安全性確保と混雑緩和の観点から急遽京阪特急を臨時停車させた(淀駅に特急が停車した例はこの時だけである)。

 経済面では関西大学大学院教授の宮本勝浩は観客動員数と売り上げの増加分から、ディープインパクトによって262億円の経済効果があったと試算している。これは2006年の日本シリーズに44年ぶり2回目の優勝を果たした北海道日本ハムファイターズの経済効果220億円やセ・リーグ優勝をした中日ドラゴンズの経済効果200億円を上回るものである。


・エピソード
 ディープインパクトを担当した厩務員の市川は、初めてディープインパクトを見た時に馬体が小さい上におとなしいため牝馬ではないかと思い、ディープインパクトが本当に牡馬かどうか確認をしたという。
 入厩して初めて坂路の調教でタイムを計った時に、池江は前もって58秒から59秒で走らせるように指示したが、ディープインパクトはこれよりも速い54秒前半のタイムを出してきた。それにもかかわらず、ディープインパクトは汗もかかずに全く疲れた様子がなかったという。
 日本ダービー当日の第11競走秋川特別(1000万条件)で、近走5走で勝利どころか掲示板(5着以内)にも入ってないオートゼウスという馬が人気を集めた。オートゼウスは馬番が5番で、日本ダービーにおけるディープインパクトの馬番と同じであった。これは、通常の競馬開催ではメインレースは第11競走であるが、この日はメインレースである日本ダービーが第10競走で行われたことで、第11競走を日本ダービーと間違えて投票した人が多かったためであるといわれた。当のオートゼウスは秋川特別で3着と健闘した。
 日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられるが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入予定)、フランスでは2006年から全ての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられており、凱旋門賞に出走したディープインパクトにも2006年7月2日、マイクロチップが埋め込まれた。これは日本産馬としては導入第1号となった。
 ディープインパクトはデビュー以来日本中央競馬会が主催する競走に13戦連続で1番人気に支持されて出走した。これは日本中央競馬会史上最多記録であり、ハイセイコーが保持していた11戦連続1番人気の記録を破るものである。さらにGI競走では日本ダービー天皇賞春宝塚記念ジャパンカップでレース史上最高の単勝支持率を得ている。
 ディープインパクトが勝ったGIレースの2着馬は7頭いるが、その内ポップロック以外の6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)はそろってその後に故障を発症している。そのうち4頭は引退、残り2頭のうちインティライミは復帰しているが未勝利、残りのドリームパスポートは療養中である。このことは雑誌AERAの2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。


・血統背景
サンデーサイレンスケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックを制した競走馬。12年連続で日本のリーディングサイアーに輝き、GI馬を多数輩出するなど、日本競馬史上に残る種牡馬。母ウインドインハーヘアは競走馬時代にドイツGIのアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入る活躍をした。半姉に、5歳の6月という遅すぎるデビューながら、デビューから無傷の5連勝、2003年のスプリンターズステークスで4着に入ったレディブロンド(父シーキングザゴールド、6戦5勝)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア、半弟に2006年のホープフルステークスを制したニュービギニングがいる。曾祖母ハイクレア(Highclere)はエリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞(フランスのオークスにあたる)を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで2着に入った名牝だった。このハイクレアの一族には1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフがいるほか、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムといった日本で活躍した競走馬もいる。


・参考文献
島田明宏 『ディープインパクト―無敗の三冠馬の真実』 廣済堂出版、2005年 ISBN 4-331-51134-0
競馬名勝負愛好会2006 『競馬名勝負列伝』 洋泉社、2006年 ISBN 4862480063
『SUN-MAGAZINE MOOK 39 GOOD-BYEディープインパクト』 マガジン・マガジン、2006年 ISBN 4-89644-617-8
『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃2冠までの足跡』 産業経済新聞社、2005年
『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 衝撃3冠DVDメモリアル』 産業経済新聞社、2005年
『Gallop臨時増刊 ファンが選んだ2005ベストレース』 産業経済新聞社、2006年
『Gallop臨時増刊 ディープインパクト 凱旋門賞激走譜』 産業経済新聞社、2006年
『Gallop臨時増刊 さようならディープインパクト ありがとうターフを去ったHero&Heroine'06』 産業経済新聞社、2007年
『優駿3月号増刊 TURF HERO 2005』 日本中央競馬会、2006年

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Category:サラブレッド
Category:日本生産の競走馬
Category:日本調教の競走馬
Category:2002年生 (競走馬)|日ていふいんはくと

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過去の記事

ディープインパクト圧勝!無敗の二冠馬誕生
NHKでディープインパクト特集
ディープインパクトドバイへ

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三冠達成なるのか??


  • 達成しちゃいましたね・・・ -- admin? 2005-10-24 (月) 16:58:30
  • ちょっと強すぎないですか?? -- ゲスト? 2006-05-01 (月) 23:23:20

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